なぜ僕は"バツイチ貴族"を騙るのか
僕は"バツイチ貴族"です!とよく言います。
ホンモノのバツイチ貴族への道はまだ半ばだけど、いつか胸を張って言いたいんだ。
バツイチ男子って…超恥ずかしい
なんかの記事で見たんですよね。バツイチ男子ってあんまり認知されていないというか、ほとんど市民権を得ていない言葉だと思うけど。
そもそもバツイチって、早くても20代の半ばからなるもんじゃないですか。人によっては19歳でバツイチです!ってことも考えられるのかもしれないけど、それはさすがに絶対数は少ないだろう。
世間的に"男子"なんて呼べる歳じゃないのに、さらには"バツイチ男子"なんて…すっごく恥ずかしいんだけど、あれ、おかしいな。でもなんかすごく可能性のある言葉な気がしてきた。
僕の提唱する、
「バツイチであることに誇りを持ち、その人間的余裕と財力をもって貴族を名乗る」という"バツイチ貴族"と対比して、
「バツイチになったはいいけど人間的には未熟。お金にも苦労している青二才」を"バツイチ男子"と呼びたくなってきた。
僕はそんなバツイチ男子はごめんだ。まぁ、バツイチ貴族も別に社会的に認知された言葉じゃないけどね。
人間的余裕を表したい
バツイチになった最初の1年は本当に生活的にボロクソでした。さらには精神的にもどん底だったので人間性も最低。余裕のある大人とか本当にかけ離れたものでした。
今は本当に努力をした自信がある。家事を研究し料理の修業をして、服装も年相応に見直してきた。辛いことも経験してきたからこそ、今があると思っている。
恋人だってできたし、仕事(本業)だって、ある程度の責任がある仕事をしている。休暇となれば自分の立ち上げたビジネスに邁進し、毎日の勉強を怠ることはない。
要は遅れてきた"意識高い系"なんだろう。でもね、意識は常に高く持って成長していく。口だけではなく実践にうつす。それがバツイチ貴族なんだ。
独身貴族とは違う
独身貴族は、まだ結婚というものを経験したことがない人。批判覚悟で言えば、独身貴族の場合は、結婚できない人だって貴族を名乗れてしまうのだ。そこに明確な違いが存在する。 バツイチ貴族は一度結婚というものを経験しているから、経験値が段違いなのだ。
僕らバツイチ貴族は、恋愛から結婚を経験し、結婚式をして新婚旅行に行き、親族との関係に頭を悩ませてきた。妊娠から出産子育てを経験する場合もあるだろうし、保育園とかご近所さんとかとの関係に苦しんできたケースもある。
挙げ句の果てには離婚の手続きを経験し親族からは白い目で見られ、職場でも好奇の目にさらされ、多大なるダメージを負ってきた過去があるのだ。
3組に1組が離婚を経験する時代になったとはいえ、その経験値は"スライム"と"動く石像"くらいの差があるはずなのだ。
だから僕は貴族を騙る
"名乗る"ではなく"騙る"と表現しているのには理由がある。騙るの意味は、身分を偽る、詐称するという意味。
まだまだ世間的に浸透していない言葉。この言葉が世間的に認知された時、僕は自信を持ってバツイチ貴族を名乗ろうと思うのだ。その先駆者として。
わかっていただけただろうか?
最後に言いたい。
「貴族友達募集中!!」